着心地を追求するブランドKANKAKU FACTORYは、15歳の加藤路瑛が立ち上げたファッションブランドです。どのような経緯と思いでスタートしたブランドなのか、少しお話させてください。
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カンカクファクトリーの加藤路瑛(かとうじえい)です。このメッセージは15歳の時に書いています。少しばかり僕の過去から今日までのことを書かせてください。
小学6年生(11歳)の時、憧れの革ジャンを手に入れました。といっても、小学生が本物の革ジャンを手にすることはできず、ユニクロの5,000円くらいの「ネオレザーライダースジャケット」が僕が手にした最初の革ジャンでした。11歳のクリスマスプレゼントにリクエストしました。
憧れたものに袖を通した時の高揚感、ちょっと大人になれたようなくすぐったい感情。この写真から伝わるでしょうか?翌日、僕は親の反対も気にせず、小学校に革ジャンで登校しました。
ランドセルに革ジャン。最高な組み合わせです。けれど、ユニクロで袖を通した時から気がついていました。いや、もっと前から気がついていました。
「服ってどうして痛いのだろう」
服を着ると生地が触れるところが痛い。小さい頃から、これが普通だと思っていました。誰かに服を着たら痛いのかどうかなんて聞いたこともありませんでした。だから、服とは痛いもので、それをみんな我慢して着ているものだと思っていたのです。
中学1年生の時に「感覚過敏」という言葉に出会うまでは・・・。
感覚過敏とは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚などの諸感覚が過敏になっていて日常生活に困難さを抱えている状態をいいます。これは病気ではなく症状なので、診断されるというものではありません。発達障害に多く見られる症状ですが、それだけでなく、うつ病、自律神経失調症、認知症、脳卒中、てんかん、高次脳機能障害などさまざまな病気の症状としても感覚の過敏さはみられますし、最近、耳にすることが多いHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)でも感覚の過敏さがある人もいます。
感覚過敏という言葉に出会った時、小さい頃から感じていた、「うるさい場所が苦手」「食べられるものが少ない」「服や靴下が痛い」という不快な状態の理由がわかり、気持ちが軽くなったのを覚えています。
小学生で革ジャンに憧れたエピソードからもお分かりいただけると思いますが、僕はオシャレが好きでした。今、僕は高校1年生です。かっこいい服を着たいし、オシャレな服を買いたい欲望もあります。
自分が感覚過敏だと自覚した後も、僕は背伸びをしてお年玉を使って、ちょっと値段が高いデニムジャケットを買ったり、スーツを買ったりしました。オシャレな服を見るのも選ぶのも楽しかったです。
ただ、やっぱり服が痛いのです。中学2年の秋、僕は制服も重く痛く苦痛で、それだけが理由ではありませんが、当時通っていた私立中学を退学し、いわゆる不登校生となりました。そのころから、オシャレもしなくなりました。痛いのを我慢してまでオシャレをしなくていいと思うようになったのです。
以来、僕のデフォルトの服は、同じ種類のパーカーと、中学生の頃からはいている1本のズボンになりました。わずかな楽しみとして、パーカーの色は、黒、白、青、赤、緑、紫など選べるようにしています。
パーカー生活は気楽ですが、このパーカーだって着ていると痛みを感じます。縫い目が肌に触れると痛いし、タグはチクっと刺さるし、生地も痛いです。特に使い込んで洗って行くと綿素材は生地が硬くなりますし、毛羽立ちも増えてきます。その小さな毛羽立ちが何万本もある針のような感じで僕の肌に刺さってきます。
やっぱりオシャレがしたい。服は痛くて辛いものだと思って諦めてしまいましたが、もう一度、服を選ぶ楽しみを経験したい。
だから自分で服を作ることにしました。
縫い目が外側で、タグはないもの。そして、生地は自分で触って痛くないものを選ぶ。
いろんな生地をたくさん触りました。手触りだけでわからないときは腕に巻いたり、首にかけたりします。その度に、痛みやぞわっとした鳥肌が立つような不快感に襲われます。
自分が問題なく着れる服を作ろう。それが自分と同じように服えらびに困っている人のためになるなら、こんな最高なことはないじゃないか。
2020年夏、14歳の時に服作りをしようとスタートをしました。でも僕は、服を作る方法がわかりません。Twitterでお見かけして、かっこいいなと思っていた縫製工場の社長さんにメッセージを送りました。無知な私に服作りの流れや、おおよその必要経費を教えていただきました。そして、服作りの相談に乗ってくれるパタンナーさんを紹介くださいました。
デザインや縫製方法はパタンナーさんと相談しながら完成に近づいていきますが、生地が見つからない・・・・
僕はYouTubeで生地紹介をしていた繊維商社の瀧定名古屋株式会社14課のみなさんと繋がるのです。YouTubeやインスタを発信していて、きっとこの方々なら、私の年齢や知識や資本のなさで判断せず協力してくださるのではないかと思ったのです。
(立ち上がってもいない中学生の服作りに協力してくださるパタンナーの清水さん(左)と繊維商社・瀧定名古屋14課の福本さん(中央))
服作りをしようと立ち上がり1年半が経ちました。
着心地を追求するKANKAKU FACTORY (カンカクファクトリー)、以後、よろしくお願いします。